安 重根(アン・ジュングン、朝鮮語:、1879年9月2日 - 1910年3月26日)は朝鮮の独立運動家。日本の初代内閣総理大臣であり、初代韓国統監でもあった伊藤博文を暗殺したことで知られる。
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黄海道の道都・海州の両班の家に生まれる。東学党に反対していた安は追われてカトリック教会のパリ外国宣教会のジョゼフ・ウィレム(Nicolas Joseph Marie Wilhelm, ??, 韓国名: 洪錫九)[??, ????????,?????? ???(天主教ソウル大教区、カトリックインターネットGoodnews), 2010年2月8日閲覧。]司祭に匿われ、洗礼を受け[???, ????????,?????? ???(天主教ソウル大教区、カトリックインターネットGoodnews), 2010年2月8日閲覧。]キリスト教に改宗した(洗礼名は「トマス」)[笹川紀勝「安重根の平和論」NPO現代の理論・社会フォーラム『NEWS LETTER』2009.12, Vol.2-12(通巻23号)]。教育関係の仕事を経た後、1907年の高宗の強制退位と軍隊解散、それに伴う義兵闘争の高まりのなかで危機感を募らせウラジオストクへ亡命、そこで「大韓義軍」を組織し、抗日闘争活動に身を投じる。
彼は死ぬまでカトリック信仰を持ち続け、妻への最後の手紙では、自分の息子が聖職者になるように尋ねたりもしている。
1909年10月26日、伊藤博文(暗殺当時枢密院議長)は満州・朝鮮問題に関してロシア蔵相ウラジーミル・ココツェフと会談するためハルビン(哈爾浜)に赴いた。午前9時、哈爾浜駅に到着し、車内でココツェフの挨拶を受けた後、駅ホームでロシア兵の閲兵を受けていた伊藤に、群衆を装って近づいた安重根の放った銃弾3発が命中、伊藤は約30分後に死亡した。狙撃後、安重根は ロシア語で「 コレヤ ウラー!(Корея! Ура!)」(韓国万歳)と大きく叫んだ。
安重根はその場でロシア官憲に逮捕され、2日間拘留された後、日本の司法当局に引き渡された。留置中に伊藤の死亡を知った際、安は暗殺成功を神に感謝して十字を切り「私は敢えて重大な犯罪を犯すことにしました。私は自分の人生を我が祖国に捧げました。これは気高き愛国者としての行動です」と述べたという。
大韓帝国のカトリック教会の司教からは大罪を犯した安重根にサクラメントを施してはならないという命令が出されたにもかかわらず、懇意であった洪司祭は彼のもとを訪れ支えとなった。彼も収監中は官吏に対し自分を洗礼名で呼ぶよう主張したといわれる。
抗日闘争に際しての彼の決意の堅さを表すエピソードとして、同志とともに薬指を切り、その血で国旗に大韓独立の文字を書き染めた「断指同盟」の逸話も伝わる(cf.写真の左薬指)。
動機
伊藤博文を暗殺した動機として、安重根は検察官の溝渕孝雄に尋ねられた際、15の理由を挙げた。
thumb|70 px|"一日不讀書口中生荊棘" 安重根が獄中で書いた遺墨の一つ。
1910年2月14日、安重根は旅順の関東都督府地方法院で死刑判決を受けたが、彼は判決そのものが不当であると憤慨した。裁判を統轄した判事は、死刑執行までに少なくとも判決後2、3か月の猶予が与えられるとしていたが、日本政府中央は事件の重大性から死刑の速やかな執行を命じた。安は上訴を行い、担当検察官であった溝渕孝雄へ自らの随筆「東洋平和論」を書き終えるために必要な時間の猶予と、死刑の時に身に纏う白い絹の衣装を一組与えてくれるよう願い出た。
3月26日、死刑が執行される。安の死から更に5か月後の8月22日、日韓併合により大韓帝国は消滅した。
獄中における日本人との関わり
投獄された安重根の監視を任ぜられた日本人看守の千葉十七は、当初は伊藤を暗殺した安を憎んでいた。ところが、話を重ねるごとに千葉は安の思想に共感を覚えるようになっていった。安は処刑の直前、千葉に向かって「先日あなたから頼まれた一筆を書きましょう」と告げ、「為国献身軍人本分」と書いて、署名し薬指を切断した左手の墨形を刻印した。そして彼は、「東洋に平和が訪れ、韓日の友好がよみがえったとき、生まれ変わってまたお会いしたいものです」と語ったという。千葉は終生、安の供養を欠かさなかった。
また、当時の旅順監獄の典獄(刑務所長)であった栗原貞吉も安の願いを聞き入れ、煙草などの差し入れをしたり、法院長や裁判長に掛け合い、助命嘆願をするなど便宜を図っていた。処刑前日には、絹の白装束を安に贈った。死刑執行後、栗原は安の死を悔やんで故郷の広島に帰った。
安重根への評価は、日本の朝鮮支配に対する立場などを反映し、各国によって大きく異なっている。
韓国
大韓民国において安重根は、抗日闘争の英雄と評価され、「義士」と称される。ソウル特別市には安の偉業を伝える「安重根義士記念館」が1970年に建設されている。
彼の功績を称えて、韓国海軍では、2008年に完成した孫元一級潜水艦3番艦の艦名に「安重根」を用いている。また伊藤博文暗殺から100年にあたる2009年10月26日にはハルビンで記念式典が開催された。また、伊藤の暗殺という事実だけでなく、彼の唱えた「東洋平和論」や教育啓蒙活動など彼の思想を照明する動きも活発になっている。
北朝鮮
朝鮮民主主義人民共和国においては、安重根の救国の意志は認めるものの、その手段としての「暗殺」は評価しない。教科書では金日成の反面教師のように扱われる。
* 参考:映画『安重根 伊藤博文を撃つ』1979年 北朝鮮
北朝鮮がこのようなスタンスを取っているのは、安重根が両班という、すなわち社会主義における階級闘争よって糾弾されるべき立場の人間(ブルジョワジー)であるためとされる。
2009年10月24日付けの週刊誌『統一新報』では「歳月が流れても祖国と民族のために捧げた愛国者の人生は、民族の記憶の中に永遠に残ることになる」としながら「卓越した指導者にめぐり会えず個人テロに頼らざるを得ず、ついには命を投げ打っても独立の念願を果たせなかった民族の風雲児」であるとした。
日本
安重根は日本の「維新の元勲」を殺害した暗殺者であるが、その暗殺に意味を付加しうるかどうかは様々な評価が存在する。
; テロリスト説
: 韓国の日本の保護国としての現状維持を志向し、日韓併合に慎重な立場であった伊藤博文の死は、逆にそれを加速させたとして、安重根を「先の見えないテロリストである」と評する説。ただし同説には、伊藤が日韓併合に反対していたのか、伊藤の死と日本による大韓帝国の併合とに、どのような因果関係があるのか、など不明瞭な点も多いとの見方もあるが、近年発見された伊藤のメモには「韓国の富強の実を認むるに至る迄」という記述があり、これについて伊藤博文研究の第一人者とされる京都大学の伊藤之雄教授は、「伊藤博文は、韓国を保護国とするのは韓国の国力がつくまでであり、日韓併合には否定的だった事を裏付けるもの」としている。
: 伊藤博文暗殺の理由の一つとして安は「伊藤博文は明治天皇の父親を殺した」と述べていた。そのため安は暗殺説を信じ、「天皇が朝鮮独立を望んでいるにも関わらず、進展がないのは伊藤が逆らっているからだ」と考えるようになった、とする説もある。
; 義士説
: 韓国支配の象徴的存在であった伊藤の暗殺は、民族の独立を願う志士の純粋な行動として、幕末の勤皇志士につながるところがあり、安重根の裁判を担当した日本の検事から「韓国のため実に忠君愛国の士」と感嘆の声があがるほどであった。これは、立場が違っても、相手を忠義の志と見れば、一定の敬意を払う考えによるものである。
; 人身御供説
: 伊藤博文の随行員として事件現場にいた外交官出身の貴族院議員である室田義文が、
:# 伊藤に命中した弾丸はカービン銃のものと証言しているのに、安重根が所持していたのは拳銃である。
:# 弾丸は伊藤の右上方から左下方へ向けて当たったと証言している。
: ことなどから、伊藤に命中した弾丸は安重根の拳銃から発射されたものではない、という説がある。この説においては安重根は事件の真相を闇に葬るための人身御供とされる。
中華人民共和国
伊藤博文暗殺の現場となったハルビン市のある中華人民共和国には少数民族として朝鮮族が居住しているほか、韓国人も外国人として在留している。中国では安重根は「日本の首相経験者を暗殺した人物」として高い知名度を持っている。しかし中国政府は、安重根の評価は反日勢力を刺激し、国内の社会不安を増大させるとして、積極的な評価は行っていない。
2006年には、韓国人によってハルビン市に4.5mの安重根の銅像が建設されたが、「外国人の銅像建設は認めない」として当局により撤去された。伊藤暗殺から100年にあたる2009年10月26日には同市で記念式典が開かれることになったが、ハルビン駅近くの中央大街公園広場での開催は許可せず、朝鮮民族民芸博物館での開催となった。また旅順市の戦争陳列博物館で安重根の特別展が開かれたが、「国際抗日烈士展示館」と安重根の名前は出さない曖昧なものにさせ、慰霊や記念式典は認めなかった[「伊藤博文暗殺から100年 中国ハルビンでの記念式典をめぐり中韓で大きな温度差」『産経新聞』10月26日。]。
*千葉十七(及びその妻)の墓がある宮城県栗原市(旧若柳町)の大林寺には、1981年に安重根の顕彰碑が建立された。また、1992年9月6日からは日韓合同で毎年、安重根・千葉十七夫妻の合同供養が執り行われている。
*安重根の息子・安俊生は親日家であった。1939年10月15日に博文寺を訪問、博文に対して焼香した。さらに翌10月16日には、朝鮮ホテルで伊藤博文の息子である伊藤文吉と面会、写真も残されている。
; 小説
* 韓碩青 著 金容権 訳『安重根』1997年12月
** 第一部:生成篇ISBN 4-87893-289-9
** 第二部:超人篇ISBN 4-87893-290-2
; 映画
* 安重根と伊藤博文(1979年、北朝鮮、演:リ・インムン)
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