奇跡(奇蹟、きせき、)とは、人間の力や自然現象を超えたできごと。神の力などとされ、宗教と結びついていることが多い。
シャーマニズムの支配する世界ではシャーマンは病気を霊力で治すと信じられている。
旧約聖書でもモーセはさまざまな奇跡を行ったと記述されている。
キリスト教のうち、正教会、カトリック教会、さらに聖公会・プロテスタント内の福音主義は、キリストの処女降誕、キリストの肉体的復活など、キリストの生涯における出来事を超自然的な奇跡が起きたとする。それに対し自由主義神学系の聖書学者は、それら奇跡を認めず、信仰上のイエス・キリストと史的イエスとを分離するアプローチを可としている。
人間にはできないことをするために聖霊が遣わされ、その人の救いのために必要な行い(すべきことやしてはならないことなど)を示すとの教えがある。
閉じる
聖書には「奇跡」と言う語は使用されていない。聖書では「奇跡」は、以下の3語によって言い表されている。
*「神の力」(the power of G-d):奇跡の起因からの名称である。奇跡は、被造物の世界に創造主である神が力をもって介入した時に起こることから、そのように称されている。
*「驚き」(wonders):奇跡の及ぼした結果からの名称である。奇跡は人々に常に驚きをもたらした。聖書には多くの奇跡が記録されているように思えるが、「驚き」という命名を見る限りにおいては、そうしばしば起こったことではないようである。もしそうなら、驚きをもたらさなかったであろう。
*「しるし」(signs):聖書が使用する名称の中で、特に特徴的なのがこの語で、奇跡の意義からの名称である。奇跡は単に驚きをもたらすためのものではなく、「しるし」・指標であった。それは、奇跡を行ったイエスがメシヤ、それゆえ単なる人ではなく神的な存在、であったことを立証するためになされたものであることを、聖書はこの語の使用によって主張している。ヨハネの福音書において顕著である。
スポーツでは、格上に対する劇的な勝利や信じがたいプレーを奇跡と呼ぶことがある。(例)キンシャサの奇跡、メドウランズの奇跡
*サッカーでは、ある国やチームが後半ロスタイムに同点・逆転した場合や、圧倒的に格上のチームに勝利した場合にその出来事を開催地の名を取って「~の奇跡」と名付ける事がある。(例)イスタンブルの奇跡、マイアミの奇跡、カンプ・ノウの奇跡
スポーツ以外では、急激な経済発展を指すことがある。(例)東洋の奇跡、漢江の奇跡
また、統計学的に極めて低い確率でしか起こらない(望ましい)ことが実現した場合にも用いられる。(例)奇跡の星地球(液体の水を持ち、気候が安定し、高等生物が多数生息する星はめったに生まれないという立場からみた地球のこと)。また、心理学の研究を行う際に統計学が用いられる背景として、心理学は「奇跡的な」ある特定の人物や事象に関して文学的、記述的に行うものではなく、一般的で平均的な傾向、すなわち統計的に有意ではない傾向を統計学を用いて研究している。すなはち、既存の心理学の理論にはあてはまらない統計学的に有意な態度や行動を行う人物は少数ながら存在しており、ある意味彼らの人生を「奇跡」とみなすことが可能である。
「奇跡」という語は時として人々を惹きつける力を持ち、それゆえこれを悪用する例もある。悪徳商法や悪意のある新興宗教の勧誘で用いられる手法である。
* 映画
** 13丁目の奇跡
** 三十四丁目の奇蹟
** 奇跡 (カール・ドライヤー監督、1954年のデンマーク映画)
*奇跡(2011年の日本の映画)
* 戯曲
** 奇跡の人
* 歌謡曲・ポップス
** 愛の奇跡(ヒデとロザンナ)
** 奇跡の地球(桑田佳祐&Mr.Children)
** 奇跡(倖田來未)
**キセキ(GReeeeN)
**奇跡(シュノーケル)
**奇跡(スガシカオ)
**Miracle Man (オジー・オズボーン)
閉じる
>> Wikipediaで続きを読む