2009年7月11日、同じく女性登山家である呉銀善と共に11山目となるパキスタンのナンガ・パルバットの登頂に成功。翌日下山途中に通称「ナイフの刃のような稜線」と呼ばれるロープが使用できない6200m付近で転落死した。事故原因は彼女が乱気流に巻き込まれたためと見られている。彼女の遺体は同月16日に救助隊によって5300mの地点で収容された。
その後、2009年9月に地元韓国山岳会から「金のピッケル」賞を受賞した。この賞は2005年に創設された賞であり、韓国登山界における優れた精神を称えるものである。同山岳会のパク・ヨルジュ事務局長は、「故人はヒマラヤの登頂を通じ、チャレンジ精神を見せてくれ、スポーツ・クライミングの活性化に貢献した」と語っている[登山家の故・コ・ミヨンさん、金のピッケル賞受賞 2009年9月21日閲覧]。授賞式は9月15日に、ソウル江南区で催され、姉が代理受賞する事となった。
なお、7月11日に韓国隊と共にナンガ・パルバットに登頂成功したヴォルフガング・ケルプリンガー(Wolfgang Kolblinger)は、同日頂上から転落死している。