李 尚勲(イ・サンフン、1971年3月11日 - )は、韓国ソウル市出身の元プロ野球選手(投手)、ロック歌手。
中日ドラゴンズでの登録名はサムソン・リー(Samson Lee)。
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ソウル高校から高麗大学を経て、の1次ドラフト1位でLGツインズに入団。大学4年の春、成均館大学との試合で14者連続奪三振を記録して、三振が取れる剛球の左腕として注目を浴びた。入団当時、1億8千8百万ウォン(当時のレートで約2000万円)の契約金で、これは当時の史上最高額の新人契約金であった。プロ入団時に選んだ背番号は47で、これは「(当時の)西武の47番をつけるサウスポー投手(工藤公康)に憧れて」と本人が明かしている(しかし、工藤の投球フォームには憧れていたが、工藤本人の名前は知らないでいた)。日本とアメリカではチームの事情で他の背番号をつけたものの、韓国では最後までこの背番号を貫いた。
1年目のは9勝9敗を記録するも、8月の中旬で肩を痛めて途中離脱。その後のチームの失速の一因になる。この肩痛は持病である習慣性脱臼によるもので、左腕の血行障害とあわせて何度も彼を悩ませる原因になる。に18勝、に20勝で2年連続で最多勝。1995年の20勝は韓国プロ野球で5年ぶりの記録であった。は、シーズン序盤で肩痛と腰痛でチームから離れた。このため、チーム成績も振るわなくなり、李廣煥(イ・グァンファン)監督のシーズン途中解任の一因にもなった。には肩痛の影響で1試合で多く投げられないことを受けて抑えに転向して最優秀救援投手を獲得。
1997年のシーズンオフ、当時メジャーで好成績を挙げ始めた朴賛浩(パク・チャンホ)の影響で、球団承認下でポスティングシステムを使ってメジャー移籍を試みる。しかし、当時は韓国プロ野球のレベルについて認識が低く、少なくとも200万ドルの移籍料を期待していた球団側の思惑とは裏腹にボストン・レッドソックスが60万ドルで落札(これには、最初ボストン側が200万ドルの移籍料を約束したが、彼の獲得の意思を見せる球団が少なかったことで当初の約束を破って60万ドルで落札させたという話もある)。これを受け、球団はメジャー移籍を諦めさせて、提携関係にあった中日ドラゴンズへの移籍を勧める。メジャー志向が強く、日本移籍には興味がなかったが、「韓国でやりたくないなら、メジャーでも認められている日本で活躍して、そこからメジャーに移籍すればいいじゃないか」という球団の説得を受けて中日移籍を決心したという。
こうした経緯でに来日し、中日ドラゴンズに入団。宣銅烈、李鍾範と合わせて3人の韓国人選手が在籍したことから三銃士と呼ばれた。日本に来て最初に対戦した打者は元木大介であった。その元木に投じた初球を本塁打され、その後、ピンチに登板したが、その時に対戦した打者も、やはり元木であった。結果は三塁打を打たれ、日本にいる間はずっと元木に対して復讐の念を燃やしていた。1年目は1勝にとどまった。当初は先発だったが、血行障害と大学時代からの持病である習慣性脱臼の影響で、後半から中継ぎに転向し、岩瀬仁紀、落合英二とともに活躍。6勝を挙げてチームのリーグ優勝に貢献。しかし、日本シリーズを前にしてマスコミの前で翌年のメジャー挑戦の意向を明らかにしたため、日本シリーズでは出場選手登録から外される。同年オフに中日を退団。
中日退団後、再びメジャー移籍を試みたが、今度も彼の獲得の意思を見せたのはレッドソックスしかなく、2年前のことを恨んでレッドソックスは避けたかったが、仕方なくそのまま入団。これで、韓国、日本、アメリカの3ヶ国のプロリーグを経験する選手となった(李より前にスコット・クールボー、後にフリオ・フランコ、具臺晟、高津臣吾らも経験)。には中継ぎとしてメジャー昇格を果たして登板機会も得る。
しかし、印象に残るような活躍ぶりは見せられず、シーズン開幕前、同チームからウェーバー公示にかけられてオークランド・アスレチックスの3Aチームに移籍。だが、当時のアスレチックスはメジャーでも1・2を争う強力投手陣を擁しており、メジャーへの昇格がほぼ絶望的な状況で、古巣のLGツインズからの要請を受けて復帰した。最初から韓国復帰の時には無条件で元の所属チームに復帰することを前提として海外移籍を容認したことで他のチームに行くことはできなかった。
同年はシーズン途中からの出場でありながら、7勝2敗18セーブ、防御率1.68でチームの韓国シリーズ進出の立役者になるも、2勝3敗で迎えたシリーズの第6戦、3点リードの9回裏に登板して、李承燁に同点の3ランホームランを打たれ降板。そして、彼の後を継いで登板した崔元豪(チェ・ウォンホ)がすぐさま馬海泳(マ・ヘヨン)にサヨナラホームランをうたれ、チームはそのまま敗退。韓国プロ野球史上初のサヨナラホームランで幕を閉じたシリーズのきっかけを提供してしまった。
翌も4勝4敗30セーブとそこそこの成績を挙げたが、球威の低下によって、救援失敗も増えてきて防御率も抑えとしてはやや悪い3.34と昔のような安定感は失っていた。このような危惧の中で迎えたのキャンプで、趣味である音楽活動(正確にはキャンプへのギターの持ち込み)を巡って監督と対立。その結果としてSKワイバーンズにトレードされるも、不調によりシーズン途中の6月7日に引退してロック歌手へ転向した。現在は「WHAT!」というバンドのギタリストとして韓国で活動中。japanese.joins.com/article/article.php?aid=96362&servcode=600%C2%A7code=620
金髪と長髪が特徴。
サムソンという彼のニックネームは、投手陣の大黒柱としてチームを支えてきたのが、旧約聖書の登場人物の一人である長髪の力士のサムソンを連想させることで韓国のスポーツ紙によりつけられた。
年度別投手成績
* 各年度の太字はリーグ最高
style="text-align:center"|||style="text-align:center"|||rowspan="5" style="text-align:center"|LG||28||24||7||3||--||9||9||0||--||.500||635||150.2||129||10||75||1||3||131||3||2||65||63||3.76||1.35
style="text-align:center"|||style="text-align:center"|||27||27||6||2||--||18||8||0||--||.692||754||189.2||140||9||57||1||7||148||2||2||58||52||2.47||1.04
style="text-align:center"|||style="text-align:center"|||30||29||12||3||--||20||5||0||--||.800||867||228.1||150||12||48||1||3||142||4||2||61||51||2.01||0.87
style="text-align:center"|||style="text-align:center"|||41||4||0||0||--||3||3||10||--||.500||401||99.1||70||8||37||4||5||95||2||1||32||28||2.54||1.08
style="text-align:center"|||style="text-align:center"|||57||0||0||0||--||10||6||37||--||.625||336||85.1||56||6||25||5||2||103||0||0||23||20||2.11||0.95
style="text-align:center"|||style="text-align:center"|||rowspan="2" style="text-align:center"|中日||11||5||0||0||0||1||0||0||--||1.000||143||32.2||32||6||12||0||1||33||0||1||22||17||4.68||1.35
style="text-align:center"|||style="text-align:center"|||36||9||2||0||0||6||5||3||--||.545||377||95.1||75||8||30||1||4||65||2||1||30||30||2.83||1.10
style="text-align:center"|||style="text-align:center"|||style="text-align:center"|BOS||9||0||0||0||0||0||0||0||0||----||49||11.2||11||4||5||0||1||6||0||0||4||4||3.09||1.37
style="text-align:center"|||style="text-align:center"|||rowspan="2" style="text-align:center"|LG||52||0||0||0||--||7||2||18||0||.778||343||85.2||53||8||30||9||3||92||2||0||18||16||1.68||0.97
style="text-align:center"|||style="text-align:center"|||55||0||0||0||--||4||4||30||0||.500||233||56.2||42||4||21||4||0||55||1||0||22||21||3.34||1.11
style="text-align:center"|||style="text-align:center"|||style="text-align:center"|SK||18||0||0||0||--||0||3||3||1||.000||61||14.0||11||2||9||1||0||15||0||0||8||8||5.14||1.43
[[韓国野球委員会|KBO]]:8年||[[韓国野球委員会|KBO]]:8年||308||84||25||8||--||71||40||98||1||.640||3630||909.2||651||59||302||26||23||781||14||7||287||259||2.56||1.05
[[日本プロ野球|NPB]]:2年||[[日本プロ野球|NPB]]:2年||47||14||2||0||0||7||5||3||--||.583||520||128.0||107||14||42||1||5||98||2||2||52||47||3.30||1.16
[[メジャーリーグベースボール|MLB]]:1年||[[メジャーリーグベースボール|MLB]]:1年||9||0||0||0||0||0||0||0||0||----||49||11.2||11||4||5||0||1||6||0||0||4||4||3.09||1.37
タイトル
; KBO
* 最多勝:2回 (1994年、1995年)
* 最多セーブ:1回 (1997年)
表彰
; KBO
* ゴールデングラブ賞:2回 (1994年、1995年)
背番号
* 47 (1993年 - 1997年、2002年 - 2004年)
* 17 (1998年 - 1999年)
* 40 (2000年)
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