金 兒(キム・ヨナ、1990年9月5日<ref name="meikan"/> - )は、大韓民国のフィギュアスケート選手(女子シングル)。2010年バンクーバーオリンピック金メダリスト。2009年世界選手権優勝。
閉じる
1990年9月5日、富川市で生まれる。家族は両親と3歳上の姉。カトリック教徒で、ステラという洗礼名を持つ。2009年3月より高麗大学校に在籍。2007年よりIBスポーツに所属していたが、2010年4月20日にマネジメント会社「オール・ザッツ・スポーツ(AT SPORTS)」を設立し同社の所属となった。
韓国のフィギュアスケートを振興するため、後輩の強化・育成活動や、賞金等の寄付をしている。ボランティア活動や慈善活動や寄付も積極的に行っている。また、2018年冬季五輪平昌招致委員会の広報大使を務め、2011年7月6日の国際オリンピック委員会総会の最終プレゼンテーションでスピーチし、平昌招致決定に貢献した。
2010年4月には『タイム』誌のオンライン投票「世界で最も影響力のある100人」のヒーロー部門で2位に選ばれた。読売新聞社と韓国日報社が2010年4月に発表した日韓共同世論調査によると、日本人が親しみを感じる韓国人の1位が金妍児で、50%が金に親しみを感じると回答した。また、同年7月には国連児童基金(ユニセフ)により親善大使に任命された。同年8月、韓国系米国人が最も多く居住するロサンゼルスを訪問することを記念し、ロサンゼルス市議会は8月7日を「金妍兒の日」と定めた。
韓国の金ファンに対しては、多くのファンが国際大会の度に競技場に来て大声援を送ってくれることに感謝の言葉を述べる一方、過度の声援やマナーの悪さに苦言を呈することもある[<フィギュア>キム・ヨナ「私のジャンプに問題なかった」「中央日報」2009.12.07]。
ジュニア時代から競ってきた浅田真央に対しては、その存在が良いモチベーションになっていると語っている一方で、過熱するライバル報道に負担を感じているとも語っているジュニアで初めてのシーズンは浅田に全敗し、「よりによって、どうしてあの子が私と同じ時代に生まれたのだろうか」と思ったという。2005年グランプリファイナルでは「浅田のミスを願った」と語っている。金は「真央に似ている」と言われることを嫌い、真央にない武器を身につけようと必死に表現力を磨いて五輪の頂点に立った。
金は自身の性格について、「とにかく私は自分が好きなの。私の考えやその方向が間違うとは思わないの。自分を信じているといえばいいのかな」と語っている。
母国での人気と影響力
母国では「国民の妹」[斎藤貴子編『フィギュアスケート07-08シーズンフラッシュバック』実業之日本社、2008年3月、p.46]、「フィギュア・クイーン」[「?? ? ???, ????? ?? ?? LA ??」『スポーツ朝鮮』2009年3月22日、同日閲覧]、「フィギュアの妖精」と呼ばれている[金妍兒、カトリックの洗礼『東亞日報』2008-05-29 03:00]。韓国のフィギュアスケート史上、初めてISUフィギュアスケート選手権を制した選手(2006年世界ジュニア選手権)。金の活躍により韓国ではフィギュアスケートがブームとなった。劣悪だった韓国フィギュアのインフラも改善され始め、韓国各地にアイスリンクの建設予定があるほか、金の故郷である軍浦市では1,500億ウォンをかけて「キム・ヨナアイスリンク」を建設する予定だという。世界選手権で初優勝した2009年度は米フォーブス誌に「韓国で最も影響力ある有名人」に選ばれ、年収は約7億1800万円に上り、バンクーバー五輪出場選手の収入ランキング1位になった。
2011年5月より自身が司会を務めるバラエティ番組「キム・ヨナのKiss&Cry」(韓国SBS放送)がスタートした。だが視聴率は初回以外ずっと一桁台で、同時間帯で最下位の状態が続いている。
thumb|200px|2009年世界選手権で「死の舞踏」を演じるキム・ヨナ
ISUジャッジングシステムのもとで行われた主要国際競技会において、女子シングル史上初めて200点台を出した選手(2009年世界選手権)。ショートプログラム(SP)とフリースケーティング(FS)のパーソナルベストも、それぞれ歴代最高得点。長野オリンピックのミシェル・クワンの演技に感動して表現力の強化に力を注いできた。[20歳のキム・ヨナ、自伝を出版(2)「中央日報」2010年1月26日、同日閲覧]表現力は高く評価されており、2010年バンクーバーオリンピックでは演技構成点で9点台を出した。
3回転アクセルを除く5種類の3回転ジャンプを跳ぶことができる。12歳までに5種類の3回転ジャンプをマスターした[フィギュア:キム・ヨナがエッセー出版「朝鮮日報」2010年1月21日、同日閲覧]。ジャンプでは、技の出来栄えを評価するGOEでは大きな加点を得ることが多い。例えばバンクーバーオリンピックのFSではGOE合計で全選手中最高の17.40点の加点を得た。この得点に次ぐGOE合計点はラウラ・レピストの10.20点であり、他には男子も含め、2桁の得点をあげている選手はいない。特に、3回転フリップ-3回転トウーループのコンビネーションジャンプでは男子選手にも負けないと言われている。シン・ヒェスック元コーチによると、3回転フリップは初めての試みでいきなり着氷したという。ただし3回転ループは苦手であり、他のジャンプより試合での成功率が多少劣る為、最近はプログラムから外している。2008-2009シーズンはフリップをアウトサイドエッジで踏み切っていたが、2009-2010シーズンから踏み切りの矯正に成功している。
スピンやスパイラルシークエンス、ステップではレベルの取りこぼしが少なく、現行ルールに即した技術を高く評価されている。
高得点に対する疑問
金妍兒の得点に対して、高すぎる、不可解であると指摘されることもある。例えば、2010年のバンクーバーオリンピックのショート・プログラムについて、地元カナダ出身でバンクーバーの会場にて解説していたエルビス・ストイコは「金の演技は素晴らしく、首位であることには異論無し」としつつも、「2位の浅田真央との差はほんの少しであり、その点差が5点近くにまで開いたのは、馬鹿げている」とコメントしている。当時浅田真央のコーチであったタチアナ・タラソワはこの結果を「ジャッジもスコアも考えられない」と批判した。なお、このときのSP得点78.50点はISUの歴代トップスコアとなっている。FSでも150.06点と歴代でも群を抜く高得点を記録しており、これもISU歴代トップスコアである。
続く、2010年の世界選手権でも、FSで転倒などのミスを重ねたにも関わらず、ほぼ完璧な演技をこなした浅田真央を抑えFS1位(SPで浅田の得点が高かったため総合2位)となったことに対し、英ユーロスポーツの解説者クリス・ハワースは実況中継中に「おかしい。本当に間違っている(中略)トリプルアクセルは非常に難しいジャンプなのにコンビの点数はたった9.5。これは誰かさん(ヨナ)のトリプルルッツ+トリプルトーループより低いんですよ」とコメント、元ISU技術部会委員長のソニア・ビアンケッティも金妍兒のフリー演技は精彩を欠いていたが、演技構成点はそれを全く反映せず高く出すぎていた。公平に見てフリー1位に値する演技ではなかったと述べている。他にも、中国新聞網は、金妍兒にジャンプの転倒と回転不足があったにもかかわらず、ほぼノーミスの浅田真央(129・50点)より高い130.49点という全選手中最高の得点に疑問を呈し、表彰台でキム・ヨナ選手に送られた拍手は、金メダルを獲得した浅田真央選手はおろか、銅メダルのラウラ・レピスト選手よりもずっと少なかったと報じるなど、一部のメディアから疑問の声があがった
他方、金も競技会の審判に対してたびたび不満を口にしている。2009年GPファイナルSPの回転不足判定に対し「着地場面を見たが全く問題はなかった。両目で確認したのでこれ以上言うことはない。少し腹立たしい程度で怒りがこみ上げるほどではない。ただ今回もまた始まったかという感じ」と話し、常々疑義を抱いていることを吐露している。2008年中国杯SPでのフリップはエッジエラー判定となったが、この時はコーチのブライアン・オーサーが個人的に親交のあるISUの高位関係者に非公式に判定の問題点を訴え出たという。
2011年フィギュアスケート世界選手権女子ショートプログラムでは、ジャンプを失敗した金妍兒が完璧な演技をみせた安藤美姫を押さえ首位(総合では安藤に次いで2位)に立ったことに対し、中国の元五輪メダリストの陳露は「審判は本当にヨナびいきだ!」と評している。また、米シカゴ・トリビューン紙は、金妍兒は(演技からして)本来2位であるべきだったが、オリンピックチャンピオンであったのでボーナス得点を得て1位となったと報じている。
ジュニア時代
5歳でスケートを始めた[20歳のキム・ヨナ、自伝を出版(1)「中央日報」1月26日、同日閲覧]。7歳の時にコーチから「才能がある」と言われ、本格的にスケートを始めた。決して裕福とはいえない家庭であったが、両親は費用を惜しまず金をアメリカなどにスケート留学させた。母親は金の運転手兼マッサージ師兼鬼コーチ兼英語の教師として、一日16時間練習に付き添った。。2002年トリグラフトロフィーノービスクラスで国際競技会初優勝。だが小学校6年生頃には練習の辛さと足首の靭帯の怪我と父親の会社の経営悪化が重なり、スケートを辞めることを考えたという。2003年韓国選手権では史上最年少(12歳)での優勝を果たし、神童と呼ばれた。2004-2005シーズンよりジュニアクラスに上がり、ISUジュニアグランプリに参戦する。JGPブダペストで優勝、JGPハルビンで2位となる。JGPファイナルと世界ジュニア選手権では、いずれも浅田真央に次ぐ2位となる。2005-2006シーズン、JGPスケートスロバキア、JGPソフィア杯、JGPファイナルと勝ち続け、世界ジュニア選手権でも優勝。この活躍によりIMG系列のマネジメント会社「IMGコリア」との契約に成功、経済的支援を受けられるようになった。
シニア以降
バンクーバー五輪シーズンまで
right|thumb|200px|2006年スケートカナダ
2006-2007シーズンからはISUグランプリシリーズに参戦。2戦目のエリック・ボンパール杯でGPシリーズ初優勝を飾り、GPファイナルでショートプログラム3位から逆転して初出場初優勝を果たした。しかし12月初旬から軽度の椎間板ヘルニアによる腰痛が酷くなり、国内選手権や冬季アジア大会を欠場した。世界選手権では、SPでISU歴代最高得点を記録して首位に立った。しかし、フリースケーティングでは得点が伸びず、総合順位は3位となった。2007年初めからカナダに拠点を移し、現在に至るまでブライアン・オーサーに師事している。オーサーのほか、デヴィッド・ウィルソンを振付師に、トレイシー・ウィルソンをスケーティングと表現力のコーチとするチームを組んでいる。なお、オーサーにとっては金妍兒がコーチ転向後初の教え子である。オフシーズンには弱点である体力を強化するためのトレーニングに多くの時間を割いたという[2007.12.17中央日報 <GPファイナル>キム・ヨナ「体力・自信」伸ばす]
。また、「IMGコリア」とは2010年末までの長期契約を結んでいたが、母親が「管理がおろそかだ」と一方的に契約解除を通告し、IBスポーツと契約した。これを巡っては訴訟沙汰に発展している。
2007-2008シーズン、GPシリーズ中国杯、ロシア杯と2連勝。ロシア杯のフリーではISU歴代世界最高得点を記録した。GPファイナルでも2連覇を達成した。韓国で開催される四大陸選手権は怪我のため欠場した。世界選手権では、仙腸関節負傷のため事前に満足な練習ができず、痛み止めを打ちながらの出場だったが、SPは6位と出遅れたものの、FSで追い上げ2年連続の3位になった。
2008-2009シーズン、長年悩まされていた腰痛と股関節痛が完治し、万全の状態でシーズンに臨んだ。GPシリーズスケートアメリカ、中国杯は他の出場選手に大差をつけて連勝した。地元の韓国で開催されたGPファイナルでは浅田に逆転され2位に終わった。試合後、「観客の声援がうるさすぎて集中できなかった」とコメントした。四大陸選手権はSPで当時のISU歴代最高得点を更新し、初優勝を果たした。世界選手権ではSPで再びISU歴代最高得点を更新、2位に大きく差を付ける76.12点をマークした。フリーでは後半のサルコージャンプがすっぽ抜け最後のスピンもノーカウントになる大きなミスを犯すもシーズン初の130点台を出し、総合得点は女子国際大会史上初めて200点の大台に達し初優勝。なお、同大会の開幕直前のTVのインタビューで「これまで競争相手の選手に試合直前の練習を妨害されてきた」と発言したことから騒動となった。
thumb|200px|2010五輪の表彰式にて
2009-2010シーズン、3回転-3回転を今までのフリップ-トゥーループからルッツ-トゥーループに変更。GPシリーズエリック・ボンパール杯ではショートプログラムで歴代最高得点に迫る76.08点をマーク。フリーでは3回転フリップを跳ばないミスがあったが質の高いジャンプで得たGOEでそのミスをカバー、歴代最高得点をマークし、総合得点でもISU歴代最高得点を更新し優勝した。スケートアメリカではSPのISU歴代最高得点を更新、フリーでは3回転フリップで転倒するなどの大きなミスがあり、フリーでは2位。しかし、ショートで2位のレイチェル・フラットに大差を付けていたので総合得点では差をつけ優勝。GPファイナルではミスが続き、安藤美姫に続く2位スタートとなった。フリーでもミスが続いたが総合得点で安藤を上回り、2年ぶり3度目の優勝を果たした。各国から金メダルの大本命と見られて迎えたバンクーバーオリンピックでは、SP・FSともにISU歴代最高得点を更新して金メダルを獲得したが、技術・演技節で述べたように、この高得点には一部で疑問が呈されている。
五輪後、モチベーションが下がり一週間しか練習しなかったという、2010年世界選手権では浅田真央に敗れ銀メダルとなった。SPではジャンプ、スピン、スパイラルでミスが続き精彩を欠いた演技で7位。FSでも転倒やジャンプが抜けるなどのミスが続いたが、ジャンプのGOEや高いPCSで高得点を獲得。ほぼ完璧に滑りきった浅田真央の得点を超え1位となり、総合2位へと巻き返した。そのため、ここでも一部メディアなどから疑問の声があがった。
バンクーバー後
2010-11シーズンは、2011年4月にロシア・モスクワで開かれる世界選手権のみ出場することを表明した(当初は同年3月に日本・東京で開催予定だったが、東日本大震災の影響で中止、約1か月間延期されモスクワに変更)。なお2014年のソチオリンピックへの出場については「まだ分からない」と答えている。2010年8月24日にコーチのオーサーと決別したことが明らかになった。オーサーは一方的に契約を解除されたと主張したが金側はこれを否定、互いに非難し合う事態になった。広告効果評価会社である韓国CM戦略研究所によると、この騒動の影響で韓国内での金の好感度が下がったという。新コーチにはミシェル・クワンの義兄にあたるピーター・オペガードが就任した。
1年1カ月ぶりの実戦復帰となった2011年世界フィギュアスケート選手権では、オリンピックチャンピオンとして注目されたものの、SPで1位を取るもFSではジャンプにミスが重なって2位となり、総合でも優勝の安藤美姫に敗れ2位、5年連続の表彰台となった。なお獲得賞金の約220万円は、東日本大震災の被災者支援のため国際連合児童基金に寄付した。
2011/2012シーズンはGPシリーズ欠場を表明している。2018年冬季五輪平昌招致委員会の広報大使としての活動が7月まで続くことを理由としている。
大会/年||大会/年||2001-02||2002-03||2003-04||2004-05||2005-06||2006-07||2007-08||2008-09||2009-10||2010-11
style="text-align:left" | オリンピック||style="text-align:left" | オリンピック||style="background-color:#ffd700" | 1||
style="text-align:left" | 世界選手権||style="text-align:left" | 世界選手権||style="background-color:#cc9966" | 3||style="background-color:#ffd700" | 1||style="background-color:#c0c0c0" | 2
style="text-align:left" | 四大陸選手権||style="text-align:left" | 四大陸選手権||style="background-color:#ffd700" | 1||
style="text-align:left" | 韓国選手権||style="text-align:left" | 韓国選手権||style="background-color:#ffd700" | 1||style="background-color:#ffd700" | 1 There was miscommunication between ISU and Korean Federation.||
style="text-align:left" | GPファイナル||style="text-align:left" | GPファイナル||style="background-color:#ffd700" | 1||style="background-color:#c0c0c0" | 2||
style="text-align:left" | GPスケートアメリカ||style="text-align:left" | GPスケートアメリカ||style="background-color:#ffd700" | 1||
style="text-align:left" | GPエリック・ボンパール杯||style="text-align:left" | GPエリック・ボンパール杯||style="background-color:#ffd700" | 1||
style="text-align:left" | GP中国杯||style="text-align:left" | GP中国杯||style="background-color:#ffd700" | 1||
style="text-align:left" | GPロシア杯||style="text-align:left" | GPロシア杯||style="background-color:#ffd700" | 1||
style="text-align:left" | GPスケートカナダ||style="text-align:left" | GPスケートカナダ||style="background-color:#cc9966" | 3||
style="text-align:left" | 世界Jr.選手権||style="text-align:left" | 世界Jr.選手権||style="background-color:#c0c0c0" | 2||style="background-color:#ffd700" | 1||
style="text-align:left" | JGPファイナル||style="text-align:left" | JGPファイナル||style="background-color:#c0c0c0" | 2||style="background-color:#ffd700" | 1||
style="text-align:left" | JGPソフィア杯||style="text-align:left" | JGPソフィア杯||style="background-color:#ffd700" | 1||
style="text-align:left" | JGPスケートスロバキア||style="text-align:left" | JGPスケートスロバキア||style="background-color:#ffd700" | 1||
style="text-align:left" | JGPブダペスト||style="text-align:left" | JGPブダペスト||style="background-color:#ffd700" | 1||
style="text-align:left" | JGPハルビン||style="text-align:left" | JGPハルビン||style="background-color:#c0c0c0" | 2||
style="text-align:left" | トリグラフトロフィー||style="text-align:left" | トリグラフトロフィー||style="background-color:#ffd700" | 1 N
詳細
style="text-align: center; background-color: #ffdead; color:black" colspan="6" | 2004-2005 シーズン||style="text-align: center; background-color: #ffdead; color:black" colspan="6" | 2004-2005 シーズン
開催日||開催日||大会名||予選||SP||FS||結果
2005年2月26日-3月3日||2005年2月26日-3月3日||2005年世界ジュニアフィギュアスケート選手権(キッチナー)||style="text-align: center" | 1
''102.98''||style="text-align: center" | 6
''48.67''||style="text-align: center" | 2
''110.26''||style="text-align: center; background-color: #c9c9c9" | 2
''158.93''
2004年12月2日-5日||2004年12月2日-5日||2004/2005 ISUジュニアグランプリファイナル(ヘルシンキ)||style="text-align: center" | -||style="text-align: center" | 2
''51.27''||style="text-align: center" | 3
''86.48''||style="text-align: center; background-color: #c9c9c9" | 2
''137.75''
2004年9月16日-19日||2004年9月16日-19日||ISUジュニアグランプリ ハルビン(ハルビン)||style="text-align: center" | -||style="text-align: center" | 4
''38.87''||style="text-align: center" | 1
''92.35''||style="text-align: center; background-color: #c9c9c9" | 2
''131.22''
2004年9月1日-5日||2004年9月1日-5日||ISUジュニアグランプリ ブダペスト(ブダペスト)||style="text-align: center" | -||style="text-align: center" | 1
''47.23''||style="text-align: center" | 1
''101.32''||style="text-align: center; background-color: #ffd700" | 1
''148.55''
シーズン||シーズン||SP||FS||EX
2010-2011||2010-2011||ジゼル||Homage to Korea||ブレットプルーフ
(Bulletproof)
2009-2010||2009-2010||『ジェームズ・ボンド』より||『ヘ調の協奏曲』より||タイスの瞑想曲ドント・ストップ・ザ・ミュージック
(Don't Stop the Music)
2008-2009[『女子シングル読本』p.61][『WFS35』pp.48-49]||2008-2009[『女子シングル読本』p.61][『WFS35』pp.48-49]||『死の舞踏』より||『シェヘラザード』より||ゴールド----オンリー・ホープ
2007-2008||2007-2008||オペレッタ『こうもり』より||ミュージカル『ミス・サイゴン』より||ジャスト・ア・ガール----ワンス・アポン・ア・ドリーム ミュージカル『ジキル&ハイド』より----オンリー・ホープ
2006-2007||2006-2007||ロクサーヌのタンゴ 映画『ムーラン・ルージュ』より||あげひばり||リフレクション 映画『ムーラン』より
2005-2006||2005-2006||ロクサーヌのタンゴ 映画『ムーラン・ルージュ』より||パパ、見守ってください 映画『愛のイエントル』より||ワン・デイ・アイル・フライ・アウェイ 映画『ムーラン・ルージュ』より
2004-2005||2004-2005||吹雪||パパ、見守ってください 映画『愛のイエントル』より||ベンのテーマ 映画『ベン』より
2003-2004||2003-2004||吹雪||歌劇『カルメン』より||-
* ナイキ
* 国民銀行(2007年2月-)
* 現代自動車(2008年12月-)
アシアナ航空
コマーシャル
* CJグループ - 「IVY Club」(学校制服)
* 国民銀行 - 「夏の少年と冬の少女」(企業イメージCM)
* LG生活健康 - 「シャフラン」(液状柔軟剤)
* 韓国ロッテ - 「アイシス」
* LGエレクトロニクス - 「DIOS」(冷蔵庫)
* 毎日乳業 「ESL 低脂肪乳」 - (牛乳)
* 韓国P&G - 「ウィスパー・セーフTゾーン」(生理用ナプキン)
* LG生活健康 - 「Lacvert」(基礎化粧品)
* 現代自動車 「ガチョウの夢」 - (企業イメージCM)
* サムスン電子 「Hauzen-風の女神」 - (エア・コンディショナー)
* ホームプラス
* 現代自動車 「Blue drive」 - (企業イメージCM)
* サムスン電子 「ギャラクシーTab」-(スマートフォン)
モデル
* 「allure」(2007年5月号)
* 「ceci」(2008年5月号)。
その他
* 韓国ナイキ 「NIKE WOMAN - This is love」(スポーツウェア)
* 韓国3M 「Nexcare - ネクスケア」(救急絆創膏、防水パット)
* Tous Les Jours 「金妍兒のパン」(パン)
* J.estina(イヤリング)
関連書籍
* 朴美喜『』2008年、ISBN 9788993094145
* エッセイ集「キム・ヨナの7分ドラマ」2010年1月28日
関連CD
* 金妍兒 Fairy on the ICE - プログラム・ミュージック 2003-2008 (Universal Music)
* 「夢の冬」リナ・パーク&キム・ヨナ(2011年5月19日デジタル・シングルとして発売)
*:2018年韓国ピョンチャン冬季五輪誘致のためのデュエット
* 大韓民国国会大賞スポーツ部門大賞(2006年12月)
* 2006年度コカ・コーラスポーツ大賞MVP(2007年 2月)
* 大韓体育会最優秀賞競技部門(2007年2月)
* 大韓民国体育賞競技部門最優秀選手(2009年10月)
* 冬季五輪平昌招致広報大使(2010,2014,2018年)
* 「韓国訪問の年」広報大使(2010-2012年)
* 地上波テレビデジタル化広報大使(2009-2012年)
閉じる
>> Wikipediaで続きを読む